明日と明後日のミリオンのライブは見ませんという話です。
山崎はるかが「ミリ10thSSAは両日ともに見ないと後悔する」という旨の話を毎週ミリラジで口を酸っぱくしてやっている。シャイニーカラーズの5thLIVEを思い出させる不穏さが、そこに隠れている。
高山Pはシャニ5thの1日目を「好評だった」と捉えているようで、実際Twitterのトレンドにはしきりに載っていたと思う。マーケティングの人から見たらトレンドの順位が高ければ成功なのだろうからそれは正しいのかもしれないが、実際はその数日前にSideMが切り捨てられたこともあり、「いくつかのユニットが解体される」「シャイニーカラーズが終わる」といったあまりポジティブではない話題でもちきりであった。それを「好評」ととらえるならそれでもよいのかもしれないが。
ミリオンライブに対する第一印象はあまり良くなかった。
2017年に某所に飛び込んだ。当時の私は愚かで、シンデレラガールズしか知らなかった。当時の某所は時間帯ごとに話題に上がるブランドの棲み分けが行われており、ミリオンPは深夜に追いやられていた。私は毎朝4時に寝て10時に起きるようなダメ学生だったので、シンデレラガールズの知識も半端な中で、ミリシタが配信される直前ぐらいの、なんとも刺々しいというか、場末感の漂うミリオンPのコミュニティを肌で感じていた。外野から。
肩身が狭かった。
今思えばシャニ5th1日目終演後の絶望に満ちたコミュニティの空気感は、あの頃のミリオンライブ界隈によく似ていたと思う。コンテンツの未来に希望が持てなかったのだ。
ミリシタが配信され、当初はゲームとしての出来があまりにも悪かったのだが、それでもコミュニティの空気感は大幅に改善されたのは、少なくともあの頃の閉塞感めいたものからは解き放たれることができたからだったのだと思う。運営は少なくとも最初の1年間はゲームの改善に力を惜しまなかった。グラフィックは5年後の目で見ても、古さは感じるがよく出来ている。ロード地獄は今とちっとも変わっていない。
10年という節目だから、過去を振り返ろうというコンセプトでライブをする、という発想はシンデレラガールズでも同じ演出家が演っていたワケで。
でも今の「いつコンテンツが消えてなくなるかわからない」「どうせvα-livがすべてを置き換えてしまうのだろう」という、ある種の諦めめいたものが「2nd VISION下の、旧タイプのアイドルマスター」の界隈に漂う中で、あの閉塞感をライブで表現することには、ぼくはどうしても懐疑的に見ざるをえない。これからアニメをやろうというコンテンツで、そういった不安を改めて掘り起こすことに、どれだけの価値があるのだろうか?
おそらくライブの企画を行っている段階では、アイドルマスターというIPがこんな状況に陥るなんて夢にも思わなかっただろう(ライブの作り込みには1年ほどかかるとされている)から、無理もないのかもしれないが、正直言ってああいうのは一度見れば食傷気味になってしまうような代物だ。
ミリオンライブのいい所はライブパフォーマンスの強さにあるから、ちゃんと周防桃子というものと向き合ううえで渡部恵子のパフォーマンスは無視することはできない。だからあちこちで「渡部恵子から逃げない」という言葉を使ってきた。でもミリシタ以降のミリオンライブしか知らないぼくに10thSSAは無理だ。ごめんなさい。
周年イベみたいなものを想定していたらそこまでしんどくはなかった。プレイ時間はデレステでいつも300位周辺を狙う時と変わらず。日菜子と桃子ではずいぶんPの数が違うが、そもそもミリシタのアクティブはデレステよりちょっと少ないので、その辺でちょうどトントンぐらいの感じなのかもしれない。